昭和17年、個人企業として大阪の下町に誕生しました。当初は、花柳界向けに裂地を中心に取扱っていました。その後高級素材へと移るきっかけなった素材は、センザンコウを手がけたことがはじまりでした。


昭和30年頃、日本経済の安定とお供に高級素材の需要が高まり大きな飛躍を遂げます。同時期に販売した商品のひとつ、ナイロンのストライプ生地に金具の輪を取り付けたものは、当時の人気雑誌「平凡」の表紙を飾ることになりました。

昭和36年、樺r田工芸の組織変更。
昭和39年、業界の先陣を切って渡欧。世界のバッグ市場の視察に出かけ多くを学び、世界に対する技術デザイン両立の立ち遅れを取り戻すため、社内にサンプル室デザイン室を設けました。

昭和44年、敷地面積3千u業界随一の規模を誇る工場が完成。当時、家内工業が大半であったバッグ業界の生産体制を、近代工場の生産へと引き上げる先駆者でもありました。


このように池田工芸が発展を遂げることのできた背景には他社が取り組まない、また取り組むことのできないような高級素材への挑戦と、デザイン開発への大きな尽力というふたつの精神があります。これらを一貫して守り続けることで確かな技術力とデザイン力を着実に養い同時に製品自体のクオリティを高めることにつながるのです。


ゆるぎない信念を守り続けながら、しかも時代には柔軟に対応し、消費者が求めている製品を提供し続ける。それが、我々が忘れてはならない「もの創りの心」であり同時に我々の使命でもあると考えます。